一般的な恋愛観と個々の恋愛観の違い
- 2016/11/9
☆恋愛観について☆
今回は、一般的な恋愛観と、個々の恋愛観の違いについてのお話です。
まずは、「それ、どういう意味?」というところから。
皆様は、客観的な自分と主観的な自分のことをどうとらえていらっしゃるでしょうか。
それが恋愛に対して、差が大きい程、恋愛を難しいものと捉えるのだということです。
客観的な自分=理性的・合理的・偏らない見方ができる・自分を外側からも見られる
主観的な自分=自分を中心に考えられる・主義主張ができる・流されない・個を理解する
どちらもポジティブな言葉で書いてみました。
何故そうするかというと、どちらも自分自身であり、どちらかだけでは存在できないのが人であるからです。
客観的な方の、理性的とか合理的という意識ですが、それは主観ではないか?と思う方もいらっしゃるかと思いますが、理性というのは本能の反対ととらえれば、元々備わった性質性格ではなく、社会や環境から教わったものがその大半であると言えますね。
また、合理的というのも、非合理的、つまり理に合わないという意味の反対ですから、やはりそれもなんらかの教えや教育の上に培われたものだと言えます。
つまり、客観的なものは、全て外からの教えや指導、影響があって初めて出来上がると言えます。
それは人とのコミュニケーション、親や親友、または自分を取り巻く人達による影響です。
その人達から得たものが、客観として自分の中に残っていく訳です。
勿論それは人から得られるものですから、それを今度は自分の中で創ることで、今度は自分と外との関係性に考えが及ぶという、外からも見れる自分になる訳です。
そうして実は、両方の自分から独自の自分らしさを創り上げるのが、完成された自分のイメージ、自分の意見を持った人となる訳ですね。
それが自分らしさなのです。
そこで人を愛することという恋愛観ができてきます。
と、かなり硬い話から入りますが、恋愛は主観だと思いますか?
それが、今回のお話になります。
☆若い時の恋愛は勢い☆
こんなことをよく耳にしますね。
恋愛が勢い・・・それが、つまり主観的な自分がかなり大きな割合という意味になります。
前にもお話しましたが、若さというのは精神的なものが大半です。
そこが、合理的ではない、理性的でもない自分ということなのです。
そういう頃は、主観が勝っていますから、自分を冷静になど見ていないと言えそうです。
そして、それは大体恋愛体質とか青春という意味で言われることが多いようです。
そしてそれを、「恋愛はそういうものだ。」と肯定できるか、「それは恋愛ではない。」
と考えるかで、その方がどのような自分を創り上げているかがわかるのです。
もうひとつ。
恋愛は性の問題もありますので、若い頃の感覚はなくなるものではないようです。
ですから、ご自身の体験や恋愛観が、若い頃に創られているのだということも、理解するとわかりやすいでしょう。
「個々の恋愛観を重視する=主観的恋愛型」の方は、若い時の恋愛が最高だったという人に多いと言えそうです。
☆素敵な恋愛がしたい☆
では客観的な自分が勝るとどうでしょうか?
そこに最初にお話した問題が出てくるのですね。
他人から、「理性的・合理的・偏らない見方ができる・自分を外側からも見られる」というように見られたい場合、恋愛では自分の主観が抑えられているように見えるのです。
ご本人はそこに矛盾はないのだと思います。
「周りからも素敵な恋愛に見えるということが、自分の恋愛観。」
そういうことが、恋愛ではおこるのです。
一般的な恋愛観=自分の恋愛観という場合と
個々の恋愛観=自分の恋愛観という場合
どちらも間違いではありませんから、そのようなことで悩むことはないと思います。
☆恋愛はどこまでも自分が主体☆
ですから時々そこにギャップが生じるのが、恋愛なのです。
それをなんとかすべて結び付けようとするからでしょうか。
あまりに大きな差、ギャップですと、まるで自分が嘘つきのように感じられてしまい大変かもしれません。
ですが、それだけ自分に向き合う機会でもあるのです。
(このお話はフィクションで実在の人物団体のお話ではありません。)