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パワースポットは“怨霊を鎮めるスポット”って、ホント!?
- 2015/12/25
東京の千代田区にある平将門首塚のタタリって、都市伝説として聞いたことありますよね。明治時代は大蔵省敷地内にあった将門の首塚。関東大震災後の復興時に首塚の上に仮庁舎を立てたら、職員が次々と死亡者やけが人が続出しました。戦後は首塚のある場所に米軍の駐車場を作ろうとしましたが、工事中に作業員が死亡するなどさまざまなタタリが語り継がれています。
平将門は千年以上前の武将、その首塚がなぜ現代に至るまで恐れられるのでしょうか。それは太古から日本には怨霊を恐れる信仰心が根付いているからなんです。現代、パワースポットとしてありがたがられるたくさんの神社ですが、この神社は、生前の功績を称えるためというより、無念を残してこの世を去った歴史人をなぐさめるために建てられたんだそうです。つまり、パワースポットである神社は、怨霊を鎮めるスポットなんですね。このあたりのことを、井沢元彦著「逆説の日本史」を参考にご紹介します。
●怨霊を恐れた最初の神社、縁結びの神様「出雲大社」
縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社」に祀られているのは、大国主命(オオクニヌシノミコト)さん。古事記によれば、現代の島根から鳥取、兵庫、長野へと手中に収めたまさに“大国の主”でした。そこへ現れたのが、皇室の先祖ともいわれる天照大神(アマテラスオオミカミ)という女神さま。「この世の政治は私がやるので、オオクニヌシさんはあの世の政治をやりなさい」と国を譲るようせまります。古事記では話し合いにより国を譲ったとされていますが、自分が苦労して広げた国を「はいどうぞ」と渡すわけはない、抵抗して負け無念を残して死んだはず。だから出雲大社は、オオクニヌシさんがこの世に怨霊となって戻ってこないようにと建てた神社、というのが伊沢説です。
確かに生前のすばらしさを称える神社なら、自分(アマテラスさん)の神社を建てさせるのが普通ですよね。怨霊説の根拠のひとつは、出雲大社の本殿の中。実際に見ることはできませんが、図面や解説書などは一般公開されています。なんと参拝客からみて右の西に向いて配置され、それを監視するようにアマテラス側の神が5人配置されています。これは、アマテラスさんとしては、「社殿は建ててあげたけど、この世を治めるのは自分ですから大人しくしていなさいよ」という意味。巨大な注連縄(しめなわ)が、一般の神社と違った左右反対(死者の“左前”)なのも、「あなたは死んだんですよ。この世に出てこないでください」という意味が込められているんだそうです。ちなみに、あの世の政治というのは人の運命を司ることで、現代では縁結びとされているわけです。
●ワナにはめられタタリまくった、菅原道真公を祀る「太宰府天満宮」
天神さま菅原道真公のお墓の上に社殿を建てた神社。学問、至誠(しせい)、厄除けの神様として、全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮として、年間に約700万人の参拝者が訪れています。一流の学者・政治家・文人として活躍した道真公は、現代は学問の神様とされていますよね。でも晩年は、政略により無実の罪を着せられて京都から大宰府に流され、無念のうちに生涯を終えました。門弟が亡骸を牛車に乗せて進もうとすると、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと太宰府の地に埋葬され太宰府天満宮となりました。道真公が死んだ直後。無実の罪におとしいれた首謀者である醍醐天皇の周囲の人が、病気や落雷にうたれるなど、陰謀にかかわった人たちのほとんどが死亡。宮中には道真公のタタリだとパニックになったそうです。そのため、もともと道真公は「御霊」「雷神」として祀られていました。
このほかにも聖徳太子をはじめ、日本史に名をはせたものの無念の死をとげた多くの人たちの神社は、怨霊を鎮めるために建立されたということです。どうりで、パワーがあるはずですね。