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赤ちゃんを「可愛い」と思えないとき その3
- 2016/9/7
■赤ちゃんの存在が、重い
今になって赤ちゃんだった頃の子どもの写真を見ると、親馬鹿ながら、どれも可愛く微笑ましく思えます。心の中はハートでいっぱいです。きっと、夫もそんな気持ちだったのでしょう。でも、当時はそんな風に心が躍ることはありませんでした。心が沈んでいたのです。そして、心の重荷になっていたのは、赤ちゃんの存在そのものでした。
育児の辛さ、特に赤ちゃんを育てる辛さについては、ネット上にもよく書かれています。頻繁な夜泣きに眠れない。寝たと思えばすぐ起きる。抱っこしてないと泣くから、抱きっぱなしで腱鞘炎。子どもが生まれてから5分以上かけてご飯を食べたことがない。トイレにもろくにいけず、膀胱炎が癖になった。私も全てあてはまります。特に最初の子どもは、全てが初めての経験ですから、訳もなくおろおろして、気が休まる暇もありませんでした。
■思い通りにはいかない毎日
何をやろうにも、スムーズにはいきません。洗濯物を干すだけで1時間半、なんてこともありました。泣いたら抱っこして安心させてあげてください、いくらでも抱っこしてあげましょう。そんな育児書を信じて、ひたすら抱っこ、抱っこ。何もできません。一旦子どもが寝ても、いつ起きるかひやひや。物音をたてないように足音を忍ばせて歩き、テレビはヘッドフォン。子どもの寝る寝室に灯りが差し込まないように、ふすまには目張り。逃亡者にでもなったような息の詰まる毎日です。思い返せば、何をそんなに恐れていたんだろうと笑ってしまいますが、当時は真剣でした。
自由に眠ることも、ご飯を食べることも、トイレに行くこともできない毎日。よかれと思抱っこしても泣きやまない。笑顔が見たくておどけても、歌っても、反応はない。思い通りに行くことなんてなにもなくて、たった一人で砂漠にひたすら水をまいているような虚しさに支配されていたのだと思います。
■それは仕事も同じ?
育児は思い通りに行かないと書くと、それは仕事も同じだという意見があります。確かに、仕事も思い通りにいかないことが多々あるでしょう。でも、育児と仕事では違う点が二つあるように思います。第一に、仕事には何かしらの到達点、目指すべき目標があります。結果として無駄骨となってしまうことはあっても、無目的な仕事は存在しません。到達したい業績であったり、実現したい企画であったり、ともかく努力の対象として目標とするものは存在しますよね。でも、赤ちゃんの育児に目標を持つことや、結果を求めることはできません。仮に、「今月中に首がすわるようにする」という目標をたてたとしても、無意味です。首がすわるのは赤ちゃん自身が成長したからで、親にたいした手助けはできないのです。首がすわるようにと親が頑張れば頑張るほど、理想通りにいかない場合にはストレスだけがつのります。
育児の目的は、子どもの成長を見守ることでは、という意見もあるでしょう。はい、私もそう思いますよ、二人を育てる「今」では。でもね、特に初めての子どもは頑張りたくなるものなのです。とはいえ、何を頑張ればいいかは分からない。毎日、何も目的がないと、一日がひたすら長く感じます。頑張りたいお母さんは、何かが赤ちゃんの成長を促すと聞けば、試してみたくなります。でも、良かれと思ってしたことが、嫌がられたり泣かれたりの繰り返しだと、「何のためにやっているんだろう」と虚しさだけが積み重なります。結局、何をすべきかが見えなくなってしまうのです。
そして、育児と仕事には大きな違いがもう一つあります。
詳しくは次回へ…。