子供の虐待、その影に潜むものとは
- 2016/8/16
最近毎日のようにTVで幼い子供の悲惨な虐待や、死亡のニュースが流れています。現代社会をこれほどまでに、生き辛く悲しい社会にさせている要因は何のでしょうか?
今日はこのような現実に向き合い、その奥深くに潜む闇について、考えていきたいと思います。
先日ニュースで取り上げられた幼い姉、弟を透明のケースに入れて数十分放置し、弟を死亡させたニュースについてその背景にあったものについて触れてみようと思います。
【子煩悩な父親、その心には】
奈良県で起きたこの悲惨な事件の背景にはどのような事があったのでしょうか?殺人容疑で逮捕された39歳の父親は会社では役職を任されて、社員からの信頼も厚く、みな「そんな事をするなんて、信じられない」と口を揃えて言います。
そのような真面目で、社会的地位もあり、信頼のある男性がなぜこのような事件を起こしたのでしょうか。
事件を読み進めていくうちにふと気になる事を見つけました。それはこの死亡した子供に何らかの発達障害があったという事です。父親は自分の理想とする子供像と、実際に目の前にいるわが子、、、その差にやりきれなさや、歯がゆさ、またそれを受け入れ認める事が出来ない自分への苛立ち、様々な気持ちを抱えていたのではないでしょうか?
しかし、どのような理由があっても人を殺めてもいいという理由にはなりません。
【障害児である事】
私も子供がいますので、子供を育てる大変さやまたそれに反して、可愛さ、愛おしさは充分にわかるつもりです。
しかし、私の子供はこの事件を起こした家庭のように障害を背負っているわけではありません。親がわが子を愛おしく思う気持ちはわかっても、障害児を持つ親の苦労や大変さ、周囲の目、など理解できない部分は多くあります。この家族の苦しみを本当の意味で理解し合える事は出来ないのかもしれません。
しかし、こうなる前にせめて声をあげてほしかったと思います。市の相談窓口などへ母子で相談には行っていたようですが、こういう機関でどれほどの人が本心をさらけ出す事が出来るのでしょうか。
身近な誰かに、「子育てで困っている、悩んでいる、つらい」と心の底から言えていたら、こんな悲しい事件は防げたのかもしれないと思わずにいられません。
【社会へ求めるもの】
現代は隣に誰が住んでいるのか、わからないという事はごく普通の事です。隣にどんな人がいるのか、どのような家族なのか全くわからないのです。またお互いの家庭に踏み込まれない現状も多くあります。このような他人との繋がりの少ない社会で段々と孤独になっていく家庭も多いのでしょう。
このような時に頼れるものは、自分をさらけ出し心許せる友達や家族なのではないでしょうか?
ここの絆をしっかりと保ち、そこから社会への扉を開くきっかけを作る事ができたら、悲惨な事件も少し減っていくのではないかと淡い期待を持たずにはいられませんでした。